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ルポ (水雷艇)

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クレタ島の戦いの後のルポ(1941年6月)

ルポ (Lupo) は、イタリア海軍水雷艇スピカ級

名称はイタリア語で『』を意味する。

艦歴

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1936年12月7日起工[1]。1937年11月7日進水[1]。1938年2月28日就役[1]

1941年1月31日、エーゲ海アレクサンドリアからスダ湾へ向かっていたタンカーDesmoulea(8120トン)を雷撃し大破させる[2]。2月、イギリス軍がカステロリゾ島に侵攻(アブステンション作戦)すると、ルポは島への兵員輸送などを行った[3]。1942年5月21日、クレタ島侵攻部隊を運ぶ船団護衛中イギリス海軍D部隊(軽巡洋艦ダイドーオライオンエイジャックス、駆逐艦4隻)と交戦し損傷[4]。11月24日、水雷艇カシオペアとともに船団護衛中イギリス海軍K部隊(軽巡洋艦オーロラペネロピ、駆逐艦ランスライヴリー)の攻撃を受け交戦[5]

1942年12月2日、水雷艇アルデンテアレテューサとともにトリポリへ向かう船団護衛中、船団の船2隻のうち1隻がアルバコア雷撃機により撃沈され、その生存者救助のためその場に残ったルポはイギリス海軍第14駆逐群(駆逐艦ジャーヴィスジャヴェリンヌビアンケルヴィン)の攻撃を受けて反撃もできずに撃沈された[6]。乗員134人中29人がアルデンテに救助され、ジュゼッペ・フォリ艇長ら105人が戦死した。

脚注

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  1. ^ a b c 第二次大戦駆逐艦総覧, p.182
  2. ^ Struggle for the Middle Sea, p.80
  3. ^ Struggle for the Middle Sea, p.82
  4. ^ Struggle for the Middle Sea, p.118
  5. ^ Struggle for the Middle Sea, p.149
  6. ^ Struggle for the Middle Sea, pp.203-204

参考文献

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  • M.J.ホイットレー『第二次大戦駆逐艦総覧』、岩重多四郎 訳、大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
  • Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Nval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3