リチャード・オンズロー (初代オンズロー男爵)
閣下 初代オンズロー男爵 PC | |
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庶民院議長 | |
任期 1708年 – 1710年 | |
前任者 | ジョン・スミス |
後任者 | ウィリアム・ブロムリー |
財務大臣 | |
任期 1714年10月13日 – 1715年10月12日 | |
前任者 | ウィリアム・ウィンダム |
後任者 | ロバート・ウォルポール |
下級海軍卿 | |
任期 1690年6月5日 – 1693年4月15日 | |
サリー統監 | |
任期 1716年 – 1717年 | |
前任者 | アーガイル公爵 |
後任者 | オンズロー男爵 |
個人情報 | |
生誕 | 1654年6月23日 イングランド王国、サリー |
死没 | 1717年12月5日 グレートブリテン王国 |
政党 | ホイッグ党 |
配偶者 | エリザベス・タルス |
初代オンズロー男爵リチャード・オンズロー(英語: Richard Onslow, 1st Baron Onslow PC、1654年6月23日 – 1717年12月5日)は、ホイッグ党所属のイギリス庶民院議員。1688年から1716年まで第2代準男爵サー・リチャード・オンズローの称号を使用した。1708年から1710年まで庶民院議長を、1714年から1715年まで財務大臣を務めたが、与野党の両方で不人気であり、特に庶民院議長の任期中ではさらに顕著であった。極めて杓子定規で原則を固守したため、"Stiff Dick"というあだ名をつけられている[1]。
生涯
[編集]1654年6月23日、政治家の初代準男爵サー・アーサー・オンズローと1人目の妻メアリー(1649年にロンドン市長を務めたトマス・フットの次女)の長男として生まれた[2]。1671年6月7日にオックスフォード大学セント・エドマンド・ホールに入学したが、学位は得られなかった[3]。1674年にインナー・テンプルに入ったが、弁護士資格免許は得られなかった[2]。
1679年3月イングランド総選挙で��ルフォード選挙区から出馬して当選、王位排除法案に賛成票を投じた[4]。以降1687年までギルフォード選挙区で連続再選を果たしたほか[2]、1688年7月21日に父が死去すると準男爵位を継承[2]、1690年から1693年まで下級海軍卿を務めた[5]。1689年イングランド総選挙ではサリー選挙区に鞍替えして当選、以降叙爵までのほとんどの時期(1710年から1713年までセント・モーズ選挙区に転じた時期を除いて)同選挙区の議員を務めた[2]。
1705年に庶民院議長選挙への出馬が噂されたが、そのときはコート派(宮廷派)の候補を支持して自身は立候補しなかった[6]。1708年の議長選挙ではピーター・キングやジョセフ・ジキルとともに議長の有力候補とされ、議論が数か月間続いたが、やがて王配ジョージの死に伴う内閣改造の交渉でオンズローに議長の職を与えることが合意され、オンズローは全会一致で当選した[6]。
議長在職中の1710年3月、ヘンリー・サシェヴェレルの弾劾裁判が貴族院で行われることとなったため、オンズローは議長として庶民院議員全員を率いて貴族院で傍聴しようとし、黒杖官サー・デイヴィッド・ミッチェルはそれを阻止しようとした[6]。しばらく争われたが、結局ミッチェルは引き下がざるを得なかった[6]。この出来事により同年6月に枢密顧問官に任命されたが、同時にトーリー党からの批判に晒されることとなり、オンズローは1710年イギリス総選挙ではサリー選挙区で敗北を喫し、腐敗選挙区のセント・モーズ選挙区に頼らざるを得なかった[6]。一時は政界引退も考えたが、結局バックベンチャーになることに留まり、1711年12月にホイッグ党のスペインなくして講和なしの動議に賛成、1712年にはマールバラ公爵を擁護した[6]。
1714年に再び枢密顧問官に任命されたほか、1714年10月から1715年10月まで財務大臣を務め、辞任の際は代償としてオンズロー男爵への叙爵と終身財務省出納官を務める権利を与えられ、また1716年7月にはサリー統監に任命された[2]。1717年12月5日に死去、サリーのメローに埋葬された[2]。爵位は息子トマスが継承した[7]。甥のアーサー・オンズローは後に庶民院議長を務めた[7]。
家族
[編集]1676年8月31日、エリザベス・タルス(Elizabeth Tulse、1718年11月25日没、ロンドン市長ヘンリー・タルスの娘)と結婚した[8]。2人は少なくとも3男をもうけ、うち2男が夭折した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Dasent, Arthur Irwin (1911). The Speakers of the House of Commons from the earliest times to the present day. London: John Lane. p. 241 15 December 2009閲覧。
- ^ a b c d e f g Rigg, James McMullen (1895). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 42. London: Smith, Elder & Co. pp. 224–225. . In
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Oade-Oxwick". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 1084–1103.
- ^ "ONSLOW, Richard (1654-1717), of West Clandon, Surr" (英語). History of Parliament Online. 2019年5月8日閲覧。
- ^ "ONSLOW, Sir Richard, 3rd Bt. (1654-1717), of Clandon, Surr" (英語). History of Parliament Online. 2019年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f "ONSLOW, Sir Richard, 3rd Bt. (1654-1717), of West Clandon, Surr. and Soho Square, London" (英語). History of Parliament Online. 2019年5月8日閲覧。
- ^ a b c Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 66–69.
- ^ Burke's Peerage (英語) (99th ed.). 1949. p. 1532.
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、リチャード・オンズロ���に関するカテゴリがあります。
- リチャード・オンズロー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
イングランド議会 (en) | ||
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先代 アーサー・オンズロー トマス・ダルマホイ |
庶民院議員(ギルフォード選挙区選出) 1679年 – 1689年 同職:トマス・ダルマホイ 1679年 モーガン・ランディル 1679年 – 1685年 ヘニッジ・フィンチ 1685年 – 1689年 |
次代 フット・オンズロー ジョン・ウェストン |
先代 サー・アダム・ブラウン準男爵 サー・エドワード・エヴリン準男爵 |
庶民院議員(サリー選挙区選出) 1689年 – 1707年 同職:ジョージ・エヴリン 1689年 – 1690年 サー・フランシス・ヴィンセント準男爵 1690年 – 1695年 デンジル・オンズロー 1695年 – 1689年 ジョン・ウェストン 1698年 – 1702年 リオナード・ウェッセル 1701年 – 1705年 サー・ウィリアム・スコーエン 1705年 – 1707年 |
次代 グレートブリテン議会 |
グレートブリテン議会 | ||
先代 イングランド議会 |
庶民院議員(サリー選挙区選出) 1707年 – 1710年 同職:サー・ウィリアム・スコーエン |
次代 ガーンジー卿 サー・フランシス・ヴィンセント準男爵 |
先代 フランシス・ゴドフリー ジョン・トレデナム |
庶民院議員(セント・モーズ選挙区選出) 1710年 – 1713年 同職:ジョン・トレデナム 1710年 – 1711年 ジョン・アンスティス 1711年 – 1713年 |
次代 エドワード・ロルト フランシス・スコーベル |
先代 デンジル・オンズロー モーガン・ランディル |
庶民院議員(ギルフォード選挙区選出) 1713年 – 1714年 同職:モーガン・ランディル |
次代 モーガン・ランディル デンジル・オンズロー |
先代 ガーンジー卿 サー・フランシス・ヴィンセント準男爵 |
庶民院議員(サリー選挙区選出) 1713年 – 1715年 同職:ガーンジー卿 |
次代 ガーンジー卿 トマス・オンズロー |
先代 トマス・ストラングウェイズ |
議会の父 1713年 – 1715年 |
次代 トマス・アール |
公職 | ||
先代 ジョン・スミス |
庶民院議長 1708年 – 1710年 |
次代 ウィリアム・ブロムリー |
先代 ウィリアム・ウィンダム |
財務大臣 1714年 – 1715年 |
次代 ロバート・ウォルポール |
先代 デ・ラ・ウォー男爵 |
財務省出納官 1715年 – 1717年 |
次代 トリントン男爵 |
名誉職 | ||
先代 アーガイル公爵 |
サリー統監 1716年 – 1717年 |
次代 オンズロー男爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | オンズロー男爵 1716年 – 1717年 |
次代 トマス・オンズロー |
イングランドの準男爵 | ||
先代 アーサー・オンズロー |
(ウェスト・クランドンの)準男爵 1688年 – 1717年 |
次代 トマス・オンズロー |