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遠雷 (立松和平)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠雷
作者 立松和平
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
刊本情報
刊行遠雷』- 河出書房新社 1980年6月
春雷』- 河出書房新社 1983年9月
性的黙示録』- トレヴィルリブロポート 1985年10月
地霊』- 河出書房新社 1999年11月
遠雷四部作』- 河出書房新社 2000年12月
受賞
第2回野間文芸新人賞(1980年)
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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遠雷』(えんらい)は、立松和平1980年小説野間文芸新人賞を受賞[1]栃木県宇都宮市を舞台に、都市化されていく近郊農業の欲望や矛盾が噴き出ていく様を描く[2][3]。「遠雷」「春雷」「性的黙示録」「地霊」と続く4部作の第1作に当たり[4]、全体として都市近郊の農村青年の絶望的な状況を描いている。本項目では、これを原作とした1981年の映画についても記述する。

あらすじ

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栃木県の都市近郊で、満夫は両親とともに農業を営んでいた。兄の哲夫は銀行員として東京に出て、埼玉県に家庭をもっている。そのなかで、工業団地と住宅団地がつくられることになり、満夫一家は土地を手放し、工業団地にできた工場に勤める。しかし、それも長続きはしない。父は家を出て愛人と同棲する。満夫はそれでも、わずかに残った土地にビニールハウスを建て、トマトの栽培を始める。その中で見合い相手のあや子と結ばれ、結婚を決めるが、トマトは病気にやられて、栽培を断念せざるを得なくなる。満夫とあや子の結婚式の日、満夫の祖母は老衰で亡くなり、遠雷の音が徐々に近づいてくるところで作品は閉じられる。

背景

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この作品の背景となっている工業団地は、宇都宮市瑞穂野工業団地であり、住宅団地はその北側のさるやま団地である[5]

映画

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遠雷
監督 根岸吉太郎
脚本 荒井晴彦
出演者 永島敏行
ジョニー大倉
石田えり
横山リエ
ケーシー高峰
音楽 井上尭之
撮影 安藤庄平
編集 鈴木晄
製作会社 にっかつ撮影所
ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
ATG
配給 ATG
公開 日本の旗 1981年10月24日
上映時間 135分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1981年4月24日公開。主演:永島敏行、監督:根岸吉太郎[6]

日活ロマンポルノ出身の根岸吉太郎監督初の一般映画[7]

あらすじ

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栃木県の都市近郊。23才の満夫は団地が並ぶ脇のビニールハウスでトマト栽培に精を出している。家族はすでに農地の大半を団地の敷地として売り払い、父親はその金で愛人にスナックを開かせて家を出ている。近所の米農家の息子・広次とは幼馴染の親友だが、夜はバーになるカフェのママのカエデを取り合い、カエデは両方と付き合っていた。

お見合い当日に、満夫は初対面の あや子 とドライブに出かけ、プロポーズしてモーテルに直行する。あや子もトマト栽培を手伝いに来るが、年老いた祖母やガラの悪い母親との別居を結婚の条件にする。

丹精込めて作ったハウスのトマトは、路地ものトマトと出荷が重なり、二束三文で買い叩かれる。落ち込む満夫に母のトミ子は「百姓は働いていれば食いっぱぐれない」と豪快に諭す。そんな時に、広次が農協から100万円をおろし、カエデを連れて姿を消してしまう。

ハウスのトマトに害虫がわき、慌てて駆除したり、父親の松造が選挙運動に関わって大金を失った挙げ句に愛人と失踪したりと騒ぎが続く中、あや子が妊娠したため、満夫は結婚式を急ぐ。自宅に招待客を招き、花嫁は白無垢とお色直しのドレスも披露する賑やかな式が始まる。

披露宴の最中に広次からの電話を受けた満夫は、紋付羽織袴姿のまま会いに行く。カエデと各地を彷徨(さまよ)っていた広次は、金が尽き、なじられた末にカエデを絞め殺したという。自首する広次に付き添って警察まで送った上で、満夫は夜明けまで続いている宴会に戻る。

トマトのハウスでは、満夫とあや子が枯れた茎や葉を刈って焚き火で始末する作業を遠雷の中で仲睦まじく続ける。

キャスト

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スタッフ

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製作

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何人もの監督が映画化権を争った[8]日活でも一般映画で立松和平原作の何かを映画化したいという構想が上がり[9]、日活企画部の佐々木志郎と岡田裕が、松田優作で『ブリキの北回帰線』が出来ないだろうかと、松田が当時所属していた夢屋事務所の代表・笹岡幸三郎に打診した[9]。しかし企画はまとまらず、『遠雷』をやることになった[9]ATG代表の佐々木史朗は、本作を根岸吉太郎の監督デビュー作にしたかったが[7]、待ってる間に根岸が7本撮ってしまい、結果的に根岸の監督8作目になった[7]。根岸も『ブリキの北回帰線』を映画化したいと考えていたため、ようやくオファーを受けた[7]

根岸は地方に対する思い入れはなかったが、描きたい人がたまたま農村にいたことで舞台が栃木になった[7]。脚本の荒井晴彦とは、以前から組みたいと思っていたという[7]

賛否両論を呼んだのがビニールハウス内でのジョニー大倉の独白シーンの長回し[7]。実際には1カットではなく、3カットであるが[7]、カメラは永島敏行の視点で正面からのカメラでジョニー大倉が延々と喋り続ける。根岸は「ずっとカメラがある方が力を生むんじゃないかと、聞いてる永島君と、観てる人が同じ気持ちになれるんじゃないかなという...それに賭けてみた」と話している[7]。本作を鈴木尚之を団長とする日本シナリオ作家協会の代表団が中国雲南省の山奥まで持って行ってシンポジウムを開いたが、このシーンを中国の映画人が辛辣に貶し、鈴木が「こんな名作をこのまま言われっ放しじゃ帰れない」と昼食を挟んでシンポジウムを続け、いかに狙いとしてこれが素晴らしいか、中国の映画人を説得したという[7]

ロケ地

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栃木県宇都宮市[2]

作品の評価

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受賞歴

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出典

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  1. ^ 立松和平:遠雷 |河出書房新社
  2. ^ a b c 水野拓昌 (2016年5月22日). “【ロケ地巡りの旅】立松和平さんの小説原作 映画「遠雷」 都市化進む郊外の農地描く-宇都宮市・瑞穂野団地”. 産経ニュース (産経新聞社). オリジナルの2020年10月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201031005541/https://www.sankei.com/life/news/160522/lif1605220003-n1.html 2020年10月31日閲覧。 
  3. ^ 轟夕起夫「日活クラシックインタビュー 永島敏行」『映画秘宝』2014年1月号、洋泉社、81頁。 
  4. ^ 遠雷四部作 :立松 和平|河出書房新社(2020年11月12日閲覧)
  5. ^ 伊藤、2020年、p110
  6. ^ 日活株式会社 旧作映画の紹介
  7. ^ a b c d e f g h i j 加藤正人「連載インタビュー 脚本家 加藤正人の気になる映画人たち 対談・根岸吉太郎 『根岸監督と脚本家たち~ずっとホンを作っていたい~』」『シナリオ』2006年5月号、日本シナリオ作家協会、18–29頁。 
  8. ^ 「邦画ニュース」『シティロード』1981年7月号、エコー企画、19頁。 
  9. ^ a b c 「INTERVIEW 笹岡幸三郎(キャスティング・ディレクター) 『映画とテレビと夜中の電話』」『映画芸術』1998年夏号No.385、プロダクション映芸、33頁。 

参考文献

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  • 『戦後文学のみた〈高度成長〉』伊藤正直、吉川弘文館、2020年、ISBN 978-4-642-05911-4

外部リンク

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